東京高等裁判所 昭和49年(ネ)1657号 判決 1975年12月22日
控訴人
甲野花子
右訴訟代理人
橋本順
外三名
被控訴人
乙山昭子
右同
丙川和子
右同
乙山利子
右同
乙山春代
右乙山利子、同春代法定代理人親権者母
乙山昭子
被控訴人ら訴訟代理人
信部高雄
外一名
主文
原判決中控訴人敗訴部分はこれを取消す。
被控訴人らの請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
事実
控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人らは控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張及び証拠関係は、控訴人において当審における控訴本人尋問の結果を援用し、被控訴人らにおいて当審における被控訴本人乙山昭子本人尋問の結果を援用した外は、原判決事実摘示と同一であるから、これを援用する(但し、原判決六枚目表二行目の「妄」とあるを「妾」と訂正する)。
理由
一被控訴人昭子が訴外正夫と昭和二二年七月七日事実上の結婚をなし、翌二三年七月二〇日婚姻届を了したこと、同年八月一五日被控訴人和子が、昭和三三年九月一三日被控訴人利子が、昭和三九年四月二日被控訴人春代がそれぞれ出生したこと、控訴人が昭和三二年ごろ訴外正夫に妻子のあることを知りながら同人と情交関係を結び、今日までその関係を継続し、現在同人と同居していることは、当事者間に争いがない。
二<証拠>並びに当事者間に争いのない事実によれば、次のとおりの事実が認められ、右各供述中この認定に反する部分は措信できない。
(一) 被控訴人昭子は大正一四年一二月二二日大阪で出生し昭和一七年聖母女学校高等女学校を卒業した。訴外正夫は大正一一年一月二七日大阪で出生し、同志社大学を卒業し、明治製薬に勤務していた。訴外人には異母兄弟が一九人ぐらいおり、家庭関係は複雑を極めていた。訴外人は被控訴人と恋愛によつて結ばれ、結婚後も大阪で新居を構えていた。昭和二三年八月被控訴人和子が出生した。昭和二六年ごろ、右会社が倒産し、一、二年間化学薬品の代理店を自営していたが、昭和二八年頃上京し目黒区自由丘に住み自動車販売業を営むようになつた。訴外人は精力的に仕事をする反面、女性関係にはだらしない面があつて、被控訴人昭子と性格が違つており、家庭生活が面白くないとして、結婚後五年ぐらいしてから浮気をするようになり、このため被控訴人昭子との間にいさかいが生じ、特に、昭和二九年一一月ころ訴外人が石川某女と情交関係をもつていたことが被控訴人昭子に知られたときは、離婚話も出た程であつたが、訴外人があやまつて収まつた。しかし、その後も訴外人の女性関係は改まるところはなかつた。訴外人は帰宅が遅かつたり、ときどき外泊することがあり、被控訴人昭子は心よく思わなかつた。
訴外人は、右のようなこともあつたけれども、おおむね帰宅して妻子との平穏な共同生活を営み、子煩悩なため被控訴人和子を可愛がり、その後被控訴人利子、同春代も出生し、昭和三九年に家を出るまで通常の家庭生活を営んできた。
(二) 控訴人は昭和四年一月一日に出生したが、小千谷市の丁村金蔵夫婦の養女となつて同市に住み、旧制高等女学校を卒業し、家事手伝いと養父の長男が開設していた囲碁教授の手伝いをしていた。この生活にあきたらずに昭和二九年ごろ上京し銀座のアルバイトサロンに勤め、同店で上位三位を下らないホステスとしての座を保つていた。
控訴人は昭和三二年ごろよく同店に遊びにきていた訴外人に指名されたのを機会に親しくなり、閉店後訴外人にさそわれ一諸に帰るなどして親交を深め数月後には訴外人の愛情にひかれて情交関係をもつに至つた。控訴人は訴外人に妻子があることを知つていた。当初二人とも浮気のつもりでいたが、次第に交際が深まり互に強い愛情を抱くようになつた。
控訴人は社交性もあり、しつかりした気性の持主であつて、情交関係が生じてからも訴外人から金員を貢がせるようなことはなく、自活し対等の立場で交際していた。控訴人は訴外人との関係で訴外秋子を懐胎し、子供を産みたいと思い、経済的にも自力で養育できると確信し出産することにした。これについて訴外人は特に反対もせず、被控訴人和子が高校入学手続を済ませた時点で秋子を認知することを約していた。そして昭和三五年一一月二一日訴外秋子が出生した。秋子は控訴人が自分の資力で養育していた。被控訴人和子が高校に合格した後の昭和三九年四月三〇日訴外人が秋子を認知した。
(三) 訴外人は前記のとおり控訴人と情交関係を持ち秋子を設けたけれどもこれを被控訴人昭子に隠し、普通の家庭生活を続けていた。ところが、昭和三九年二月に至り訴外人と控訴人との関係および両人の間に秋子が生まれていることが被控訴人昭子の知るところとなつた。同被控訴人はこれまで訴外人の行状に我慢してきたが、控訴人との長い関係と一子まで設けたことに激昂し、訴外人をきびしく責めたてて非難した。既に控訴人に強くひかれ同被控訴人に対する愛情を失いかけていた訴外人はこの非難に会い同被控訴人に対し嫌悪の情を抱くに至り一時身を引くと称して同年六月家を出て目黒区内のアパートに移り同被控訴人らと別居し、その後一、二月して控訴人を説得して同人の居宅に移り同棲したが、被控訴人らとの接触がわづらわしかつたためまもなく鳥取県に移つて勤務し、昭和四二年東京に帰り、爾来控訴人の居宅で同棲している。
控訴人は昭和三九年銀座にバーを開業し、昭和四一年ごろ右店舗を売却して新たに銀座八丁目にバーを開店し、従業員を使用し、昭和四七年には赤坂に支店を設けて営業したこともある。
控訴人は訴外人と同棲していても訴外人から金員の贈与ないし貸与を受けたことはなく、生活費も訴外人から受取つていない。また、訴外人が妻子のもとに戻りたいのであればあえて反対はしないとの態度である。しかし、訴外人は控訴人に傾倒しており、被控訴人昭子らのところに帰る意志は全くない。また、被控訴人昭子も訴外人が戻るとは思つていない。訴外人は自分の職業を持ち、別居してから毎月数万円を被控訴人らに送金していたが、その金額は被控訴人らの希望するところよりはるかに少額に止まつていた。しかしこの金額も訴外人の収入からすれば相当の多額であつた。また、訴外人は昭和三一年に世田谷区深沢町に家屋を新築し被控訴人昭子名義にしていた。訴外人が鳥取県にいつていた間にこれを処分し、代金の一部を訴外人の借財の返済にあて、一部をもつて被控訴人昭子の肩書住所地に家屋を取得し同被控訴人名義とし、同人らが居住している。
三前記認定の事実によれば、訴外正夫と控訴人とは、訴外人のさそいかけから自然の愛情によつて情交関係が生じたものであり、控訴人が子供を生んだのは母親として当然のことであつて、訴外人に妻子があるとの一事でこれらのことが違法であるとみることは相当ではなく、また、訴外人と被控訴人昭子との婚姻生活は、右被控訴人が訴外正夫と控訴人との関係を知り、訴外正夫が別居した昭和三九年六月に破綻するに至つたものと認めるのが相当である。そして、この別居は訴外人が被控訴人昭子に責められ愛情を全く喪失したため敢行されたものであつて、控訴人が訴外人に同棲を求めたものではなく、控訴人に直接の責任があるということはできない。そして訴外人と控訴人が同棲生活に入つたのは、前記認定のとおり、訴外人と被控訴人昭子との婚姻生活が既に破綻した後であつて、しかも訴外人の方から控訴人のもとに赴いたものであつて、これをもつて控訴人に違法があるとすることはできない。
また、訴外人が控訴人と同棲して以来子供である被控訴人和子らは訴外人の愛ぶ養育を受けられなくなつたわけであるが、これは一に訴外人の不徳に帰することであつて、控訴人に直接責任があるとすることはできない。
三以上のとおりであつてみれば、控訴人に不法行為があるとするのは相当ではなく、被控訴人らの本訴請求はすべて理由がないと認められるからこれを棄却すべく、原判決中控訴人敗訴部分を取り消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九六条を適用し、主文のとおり判決する。
(渡辺一雄 田畑常彦 大前和俊)